先週の日曜日、服を買いに出たついでに某デパートで行われていた京都物産展に立ち寄った。
私は関西の生まれなので、関西という風土自体がもともと好きなのだが、特に京都は、東京に出てくる直前を過ごした、ことのほか思い入れの深い土地なので、どこかで京都物産展などが行われているとついつい顔を出したくなるという悲しい性があるのだ。
湯葉や団子、生八橋など、もう、あとで反省するくらい物産展で食べ物を買ったあと、そこに出ているご飯屋さんに入った。京都のおかるというお店の出店だった。
メニューに「きつね丼」があった。
知ってる?ご飯の上に刻んだ油揚げに味をしみ込ませたものがネギと一緒に乗っている丼。まあ、きつねうどんのご飯版みたいなものだ。
うちにいる東京出身の社員に訊いてみたら、そのような丼は見た事も聞いた事もないと言っていたので、おそらく関西独特の食べ物なのだろうと思う。私も、東京で、きつね丼というメニューを目にした事はない。ちなみに、それを訊いたうちの社員は、そのような丼が美味いとは思えない、という関西の食文化を踏みにじるようなコメントをした(笑)。
話を戻すが、物産展で入ったお店で、そのメニューを見た瞬間、私は強烈な郷愁にかられてキツネ丼を注文した。
私の記憶のかなり奥の方、ほとんど記憶の原点くらいの所にあったきつね丼の想い出が甦ったのだ。それは、母との想い出だ。
母と二人だけだったから、おそらく幼稚園くらいの事だろうと思う。私は母と二人できつね丼を食べたことがある。
今でもそうだが、うちの母は、交通機関にめっぽう弱く、一人で遠出のできない人だ。なので、母と二人だけでどこかに行ったという記憶はほとんどないのだが、ものすごく昔に、どこかに二人で行った帰り、最寄りの駅でバスを待っていたことがあった。ところが、田舎ゆえ、バスが出るまでに時間があったので、駅前の食堂に入ったのだ。そして、そこで、初めてきつね丼を食べた。
母と食べた初めてのきつね丼は、ものすごくしょっぱかった。私が食べ残したキツネ丼を食べて、母も塩辛くて「こんなん、食べられへんなぁ」と笑いながら私に言った記憶が、今でも鮮明に甦る。
関西でもけっしてメジャーな丼でもなかったせいもあり、私は、その時以来、きつね丼を食べていなかった。あの時、物産展できつね丼というメニューに出会わなければ、私は一生、きつね丼を食べなかったかもしれない。
京都物産展で出会ったメニューで、幼かった自分と母の事を思い出し、そして、私はハートの事を思った。彼が大きくなった時、私や奥さんとの思いでの原点になるのは、どのような事なのだろう、と。